<鬼崎ヨットクラブの沿革>
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鬼崎漁港は第2次大戦中に軍需物資を輸送するために陸地(養魚場)の中を掘削して築港されたが、戦後は避難港として一般開放され、鬼崎漁港(第二種漁港で管理者は常滑市長)として利用され始めた。
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昭和30年頃までは漁船の数も20~30隻位であった。昭和30年にようやく戦後復興が軌道に乗り始め、名古屋港でヨットの練習ができなくなった。そして名古屋大学、名古屋工業大学が常滑市の厚意により、鬼崎漁港内の市の土地を借り受けてヨット艇庫を建設し、鬼崎を基地にしてヨットの練習を開始したのが、鬼崎漁港がヨットハーバーとなった始めである。昭和34年に外洋クルーザー型ヨット「ちた」が名古屋大学OBによって建造・所有され、鬼崎漁港に置いたのが、今日の大型ヨットの基地の始まりで、以来、年々数を増やし、港内に停泊していた。昭和47年、鬼崎漁港改修(浚渫)の際、それまでの港内水面に散らばるように係留していたヨットを37隻に限り整理した。即ち、常滑市長が愛知県知事により「水面占有使用許可」を取り、それを常滑市体育協会に使用させることで、ヨットが合法的にお役所の許しを得て係留できることとなった。当時としては画期的なことであった。この頃の鬼崎漁港の利用は、漁船が大小合わせて30~40隻、遊漁船はせいぜい20隻止まり。小型ヨット(ディンギー)は、各大学艇庫に収められているものが約40隻、それに大型ヨット37隻がそのすべてであった。
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- 1957年(昭和32年) 常滑市体育協会ヨット部結成、体育協会ヨット部艇庫完成(旧艇庫:木造平屋建)、名古屋大学ヨット部艇庫以降、名古屋工業大学、南山大学、東海銀行などの艇庫の建設
- ・ 1959年(昭和34年) 鬼崎漁港に初のクルーザー(ちた)係留、伊勢湾台風(9月26日)、鬼崎ヨット管理組合結成
- 1963年(昭和38年)鬼崎ヨットハーバー協議会設立
- 1964年(昭和39年)第1回鬼崎ヨットハーバー大会(ヨットレース)、東京オリンピック
- 1968年(昭和42年)鬼崎漁港内浚渫
- 1972年(昭和47年)鬼崎漁港運営協議会発足、鬼崎漁港浚渫(~昭和48年)
- 1973年(昭和48年)鬼崎ヨットクラブ設立(7月15日)水上健初代会長就任、沈錘新設、それまでのブイ1点の振り回し係留から37艇の櫛型係留、クラブ旗を赤地に白の輪印の三角と決定
- 1974年(昭和49年)クラブ運営組織を総務・広報・レース・安全・ハーバー・会員委員会とする。第1回伊勢湾長距離レース(鬼崎→伊勢湾灯標→鬼崎→常滑→鬼崎)開催、小型船舶免許制度の改定(階級1~4級)
- 1978年(昭和53年)常滑市ヨット艇庫完成(鉄骨2階建)、これを借用してクラブハウスとして使用。37艇係留、沈錘チェーン交換、日直開始、OYCニュース創刊B5判、出港届・トランシーバーの義務付け
- 1979年(昭和54年)台風16号(9月30日)が高知県に上陸し、メルキュールが沈没
- 1980年(昭和55年)会員艇フィリーが常滑高校ヨット部スナイプ艇救助、ブイ・チェーンの交換、沈錘補強アンカー設置、会則改訂(昭和55年3月28日)、
- 1981年(昭和56年)7月13日、エリカ号がアメリカに向けて常滑港を出港し9月9日、アメリカに到着
- 1982年(昭和57年)2月21日、名古屋学院大学ヨット遭難事故(鬼崎沖、470級、20歳学生溺死)、船台5台所有(大型1、借用2、譲渡2)
- 1983年(昭和58年)第1回伊勢湾クルージング(市民体験 乗船)クラブ所有船台4台
- 1984年(昭和59年)沈錘チェーン交換、クラブハウスにアマチュア無線局開局、伊勢湾カップヨットレース主管、
- 1985年(昭和60年)海事普及委員会新設、第1回安全フェスティバル(安全訓練)
- 1986年(昭和61年)沈錘再敷設、鬼崎漁港港口浚渫
- 1989年(平成元年)第8次漁港整備事業が始まる。泊地対策委員会設置、鬼崎ヨット協議会発足、常滑港にAバースグループ26艇仮係留
- 1990年(平成2年)台風19号(9月20日)が和歌山県に上陸し、常滑港で仮係留中の21艇の内18艇が被害(沈没7艇、大破9艇、小破2艇)
- 1993年(平成5年)伊勢湾長距離レース・市民体験乗船会中止、大型船台1号製作
- 1995年(平成7年)杉江淳平2代会長就任
- 1996年(平成8年)OYCニュースNO.58からA4判サイズに変更、OYCホームページ開設
- 1997年(平成9年)新港(鬼崎フィッシャリーナ)移転、OFC担当設置
- 1998年(平成10年)第3回伊勢湾マリンカップヨットレースを常滑沖で開催(8月9日)、台風7号(9月22日)が和歌山県に上陸し、舫いロープが切れるなど17艇が被害(もやいロープが切れた艇:7艇、艇に損傷を受けた艇:9艇)
- 1999年(平成11年)神谷秀雄3代会長就任 OFC港外南側堤防設置
- 2000年(平成12年)中部国際空港着工、第1回ファミリーフェスティバル開催
- 2002年(平成14年)沈錘チェーン交換、OFC港内波除堤設置
- 2003年(平成15年)竹内敬二4代会長就任、バガボンド号入港歓迎会
- 2004年(平成16年)クラブハウス建設委員会設置、市制50周年イベントとして常滑市ジュニア吹奏楽団との洋上コンサート開催(常滑港)
- 2005年(平成17年)中部国際空港(セントレア空港)開港(2月17日)、大型船台2号製作、鬼崎フィッシャリーナにワシントン椰子を植樹、空港開港イベントとして常滑市ジュニア吹奏楽団との洋上コンサート開催(鬼崎フィッシャリーナ)、OYCニュースNO.76号(最終号)
- 2006年(平成18年)鬼崎フィッシャリーナに楠木・欅を植樹
- 2007年(平成19年)沈錘チェーン交換
- 2008年(平成20年)OYCホームページリニューアル
- 2010年(平成22年)クラブハウス(木造2階建)竣工式(4月25日)、ライブカメラ設置
- 2011年(平成23年)東日本大震災義援金寄付、第1回アイアンマンレース協力
- 2012年(平成24年)沈錘チェーン交換
- 2013年(平成25年)風向風速計設置
- 2014年(平成26年)クレーン用吊り枠・スリング更新、上下架作業用ヘルメット・AED設置
- 2015年(平成27年)供用ライフジャケット配置、北西岸壁下に多孔陶管設置
- 2016年(平成28年)大型船台3号製作、係留可能数を37艇から36艇に変更、体協ヨット部会計新設
- 2017年(平成29年)梅原啓三5代会長就任、台風21号(10月23日)が静岡県に上陸し、一部の係留ロープの切断、タイヤが破損
- 2018年(平成30年)フィッシャリーナ出入口浚渫、台風21号(9月4日)上陸、数艇の舫い切れ被害発生
- 2019年(令和 元年)沈錘チェーン交換(今後5年毎に交換)
- 2020年(令和 2年)新型コロナウイルスが全世界に感染拡大、コンテナ倉庫工事完成
- 2021年(令和 3年)新型コロナウイルスの感染は3波、4波、5波と全世界に拡大、クラブハウス外壁塗装、東京オリンピック
- 2022年(令和 4年)新型コロナウイルスの感染は6波、ロシアがウクライナに軍事侵攻、大型船台4号製作、船台敷地整備、
- 2023年(令和 5年)鬼崎ヨットクラブ創立50周年、(1973年<昭和48年>7月15日創立)
記:梅原啓三